この前日本に出張したんですが、改めて日本のサービスは丁寧だなと思いました。
お店では適度なタイミングで注文取りに来てくれるし、注文するときにこの料理辛いけど大丈夫ですか?と気遣ってくれたりするし、お釣りのお札は数えてくれるし、
飛行機の中では毛布は必要ですか?と聞いてくれ、
コンビニでは「お箸おつけしますか?」と提案してくれる。
日本にいると、「客」でいる限りにおいて、ぼーっとしてても物事が前に進んでいくんですね。
というわけで、日本では主体的に動かない人のことを指して、「あの人は『お客さん』だよね」と言いますよね。
が、中国では「お客さん」も主体的に動かないと、目的が達成されません。
例えばローカルなレストランだと、店員は呼ばないと来ないし(察して来て欲しい、は通用しない)、言わないと箸や食器も出てこなかったりするし。
まあでも呼べば来るし、言えば食器出してくれる。言えば辛さも調節してくれます。
*
*
*
*
*
日本の「良いサービス」が「顧客の潜在ニーズを先回りして汲み取りに行くこと」だとすると、
中国の「良いサービス」は「顧客の顕在ニーズにだけ最速で応えること」なのかなと感じます。
なんと合理的ではないか。
店員さんを呼ばないと来ない、とかはまさにそれですね。「察してよ!」は通じない。
加えて、日本だと丁寧にしてくれるいろんな会話とか提案や、おつりのお札カウントに始まる「ガード文言」的なクレームリスクを避けるための対応はないことが多いです。
それは日本人的な基準では「良いサービスじゃない」とも思えますが、こちらが言ったことはやってくれますし、それでなんか問題あるのかというと・・どうでしょう。
ただ、もしかしたらフェーズ論かもしれなくて、「顕在ニーズに最速で応えるフェーズ」の後に「潜在ニーズ先回りフェーズ」が来るのかもしれない、とも書きながら思いました。
(+対応の丁寧さの議論は分けるべきかも)
*
*
*
*
*
サービスに限らず、中国の文化は「察して欲しいと思わず自分のことは自分でやろう」というような感じがします。(異論大歓迎)
電車から降りるときに入り口付近でもみ合いになってしまう日本では「中国の悪いマナー」の代表例とされるあの光景は、
誰かが譲ってくれると思わず、降りたければ先んじて降りる!乗りたいときは先んじて乗る!という、自分のことは自分でやる文化の表れなんだろうなと思うし、そう思うと一概に「マナーが悪くて嫌」と切ってしまうのもどうかな、と思います。
(それでも疲れているとイライラしちゃうけど笑)
それは人口が多く競争が激しいからか、王朝がめまぐるしく変わる変化の中を生きた民族だからなのか。(研究がありそう)
「察して!」と思わず、自分のことは自分でっていうのはある意味気持ちいいし、たくましくなるよなと思います。(私も中国語だと日本語ではありえないテンションで語気強く主張します。笑)
楽しく、強く生きよう。笑